いよいよ最後の更新です。これをみなさんが読むのは4/1になるでしょう。31日中に更新し終えたかったのですが、何分帰ってきたのが0時前でして、投稿日時はこれを書き始めた時間になっています。
最後だからといっても特に書くことを思いつかないのがちょっと悲しいです。まぁこの日記自体、特に何かを目指していたわけではないのでそんなもんですかね。
この茫洋、みなさんの日常の中で10秒でも会話の中にでてきていればそれ以上うれしいことはありません。たまにそんな話を聞くと、日記やクモの巣の更新をしてきた甲斐があったなぁと思います。
中には親子で見てくれていた方もいるそうで、今日はカジタがどんなことを書いていたって話をされるようです。初めてそれを聞いたときは
三点倒立をしたくなるくらい恥ずかしかったのですが(※
三点倒立)、今となれば、「奥さん、僕ともう一度青春しませんか?」って言いたいです。
あ、そうそう。クモの巣のまとめですね。あれまとめるとか言っておきながらかなり中途半端になってしまいました。その中途半端さだけは半端ないです。自信あります。でもとりあえずあげときます。
僕とクモの巣の同棲日記まとめ
なんと、まとめられたのは「★★★を得たニュース」「脱出ゲー」「その他のゲーム」の3つだけでした。ほんとは全部したかったのですが。ですからもしかしたら他のところだけ4月にはいってもまとめているかもしれません。でもまとめてないかもしれません。そんな中途半端さもカジタの味として(欠点とは言わずに)微笑ましく見守ってもらえれば、と思います。
さて、4月以降の僕の予定としては4月の中旬に決まる研究室にせっせと通い、夏に院試、といった感じになります。がんばります。みなさんもがんばってください。
僕には日々心に留めている言葉がいくつかあります。そのうち僕の核、芯となっている言葉はこれだけです。
・我事において後悔をせず。
僕は自分の人生、絶対に後悔だけはしたくありません。だから僕は自分の行動の一つ一つに責任を嫁します。責任を嫁した上で下した判断の結果はそれが全てで、それ以上でもそれ以下でもありません。「あのときにあーしておけばよかった。」とならないためにはどれだけ先のことであろうとやっぱり今考えていたいのです。
いつでも考えていた通りになることはもちろんありませんが、そのときそのときにできることを今後も全力で尽くしたいと思います。
ちなみにこの言葉は宮本武蔵が死ぬ間際にしたためた自省自戒の書「独行道」から拝借しました。僕の言葉で言うより説得力があると思ったので(笑)
さらに人間的にはいつでも余裕のもてる人間になりたいですね。新渡戸稲造の「
平静は静止状態における勇気である。」という言葉はとても好きです。でもやっぱり僕は臆病なのでなかなか難しいです。
あとは「
一を一とする。」人間でいたい。僕には都合のいいことは一を二とも三とも思い、自分に都合の悪いものはゼロと考えたがるどうしようもないところがあります。どんなことも一を一と見ることのできる人間でありたいです。「
我が気に入らぬことが我がために成るもの也。」こう考えられるでかい器を持つことが目標です。
カジタはこれからそんなことを考えながらこれから日々生活していくつもりです。またいつかどこかであったときはそんなところに注目して僕を見てみるのもいいかもしれません。たぶん1ppmくらいは成長してると思いますよ。
長くなりましたが、今日を持ってここは更新停止となります。なぜ、閉鎖にしないか、というと情報というものはある人にとって古いものでも他の人にとったら新しいものとなり得るからです。ここの場合、クモの巣が大きく当てはまるため、閉鎖とせずに更新停止とした次第です。ですからアンリンクはリンク先の方々の判断にまかせることにします。
1年間いろんな人にお世話になりました。今までほんとにありがとうございました!!
最後に。
僕のタイトルにあるように日常はとても茫洋としています。どれだけの部分、僕らはとらえられているのでしょうか。時々それを考えると自分が漠然とした砂漠のど真ん中に立っているイメージに襲われます。結局物事には実体がない、それが僕の考えです。100の質問にもあるように色即是空だと思っています。こういう考えをニヒリズムというそうです。
僕らは物事を自分で消化して自分の中で構築してはじめて物事を認識できる。僕はここで日常を少しでも噛み砕きたかったのかもしれません。今ここにきて強くそう思います。
2005年 3/31 茫洋とした日常。管理人 カジタ